edwin(パラレル)
両想い。現代パラレル。七夕の夜に。
深い鉛色が空を覆い尽くしている。俺は重苦しい空気が辺りを包んでいるのを感じていた。
橋の柵に凭れてなんとなく空を眺めていると、高校生ぐらいの二人組が視界の端に映った。撫子模様の紺の浴衣を着ている女子と、その姿を嬉しそうに見つめている普通の格好の男子。ふたりは「雨が止んでよかったね」なんてことを、はにかみながら話していた。ふたりの顔には「幸せ」という文字が書かれているような、そんな様をしていて。けれども、そんなのは俺には関係ない遠い世界の出来事で。少なくとも、俺には重苦しい空気が辺りを包んでいるのだと、そう感じられたのだ。
俺は今しがた通りかかったふたりを横目に見る。こんな夜にひとり橋の上で待ちぼうけをくらっている俺の姿は、あのふたりにはさぞかし滑稽に映っただろうとひとりごちた。当のふたりが俺に「独りきりだなんて可哀相に」なんて視線を向けることはなかったけれども、俺は思ってしまった。雨が降れば、この幸せそうなふたりの笑顔も曇ることになるんじゃないのか、と。
舗装されたコンクリートからは湿った匂いがした。
天に架ける
無機質な携帯の音が俺にその報せをもたらしたのはつい一時間前のことだった。
俺が待ち合わせの場所に辿り着いた丁度その時、連絡を寄越した彼女は受話器越しに告げた。「今日は仕事で遅れる」ということを。「どれくらい遅れるんだ?」と問うと、彼女は少しの沈黙の後に「分からない」とだけ答えた。いつ仕事を終わらすことが出来るか分からない、と。それは彼女からの「今日会うのは止めた方がいいのではないのか」という暗黙の提案だった。そのことに俺は気付いていた。気付いてはいたのだ。けれども、口を衝いて出たのは、彼女の提案を退ける言葉で。俺は彼女に向かってその言葉を告げたのだった。「お前が来るまで待ってるから」と。彼女の声が聞こえた気がしたけれども、聞こえない振りをして、俺はすばやく電話を切った。あとには携帯の機械音だけが耳に残って。俺には、なぜだかそれが酷く寂しい音に聞こえた。理由は分からないし、分かりたくもないけれども。
深い溜め息をひとつ吐くと、それを合図にしたかのようなタイミングで鉛色の空から冷たい粒が降り始めた。俺はそのことにまた溜め息を吐いたのだった。
小雨は、少しの時間ののちにすぐに降り止んだ。けれども、空は相変わらずの灰色で。俺も変わらずに今待ち合わせの橋の上で花火に向かう人たちのことを眺めているというわけだった。通り過ぎる人が微笑みが、酷く胸を刺す。その微笑みは、俺のことを嘲笑っているようにも見えたから。俺は気分を落ち着かせようと、力を抜いて柵により強くもたれかかる。
自分でも馬鹿な意地を張ったなんてことは分かっていた。けれども、仕方ないではないか。本来であれば、今日という日は彼女とふたりきりでまともに会う一ヶ月ぶりの機会になる筈だったのだ。
俺と彼女は所謂幼なじみというやつだった。家が隣同士ということもあり、昔から頻繁に家を行き来していた。彼女とは、幼なじみとしてずっと一緒に過ごしてきたのだ。しかし、高校三年になると俺と彼女は単なる幼なじみという関係だけではなくなった。彼女と手をつないだり、キスをしたりだとかをする間柄になったのだ。所謂恋人というやつに。俺は彼女と一緒に過ごす時間が好きだった。傍にいるだけで、安らげるような気がしたのだ。惚けているわけではないけれども、俺はずっと彼女と一緒に生きていくのだろうなと信じていた。思っていたのではなく、「信じていた」のだ。愚かなことに。
彼女は今年の春に院生の俺よりも一足先に就職した。彼女は義肢装具士である祖母の背中を見て育った。そのためか、小さい頃から「義肢装具士になりたい」と言っており、そのために影で並々ならぬ努力をしていた。俺は幼なじみという近しい関係だったためにそのことを知っていた。だから、彼女が祖母の下で働くという夢が現実のものと成ったときは我が身のことのように喜んだ。彼女は「いつかはあんたの左足を私が作るから」と微笑っていった。それが愛おしくて思わず抱きしめたりもしたものだ。俺は、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったのだ。けれども、彼女の夢が叶うことで俺と彼女の関係は少しずつ変わってしまった。
春先から、彼女の仕事のためにふたりで会う機会が減った。そのため、必然的にふたりで過ごす時間が減ってしまったのだった。彼女がやりたい仕事をやれていることは喜ばしいことであった筈なのに、俺は素直に喜ぶことが出来なくなった。彼女が充実した毎日を送っていることを喜べないことは恋人として駄目なのかもしれないけれども、彼女との会えない日々が、俺の信じている将来を否定している――そんな気がして、俺は喜ぶことが出来なかったのだ。いつも仕事に熱心な彼女に俺と仕事どちらが大切か――なんて、今やドラマでも見ないような無粋な台詞を投げかけてしまいそうだった。我ながら情けないとは思っていても、「仕事のために会えない」と告げる彼女に対して不安を拭うことなど出来なかった。それが酷く悔しかった。悔しくて仕方がなかったのだ。
苛立つ気持ちを抑えきれずに、俺はズボンから携帯を取り出す。時間を確認しようと思った。もう何度目か分からないこの行為も、一時的に気分を落ち着かせる分には十分で。俺はゆっくりと息を吐いたのちに、携帯を開いた。すると、わずかな電池残量しかなかったそれは赤い光を点滅させて、呆気ないほど簡単にその光を消してしまった。
俺は全てが気に食わなくて、足元の草を蹴る。すると、草に掛かっていた雨の粒が靴にかかった。
ああ、もう。俺が何をしたって言うんだ。俺は不満を言わずにはいられない。けれども、不安を言う相手なんて今この場には誰もいなくて。俺は不満を吐き出す代わりに、また深い深い溜め息を吐いて、それから空を見上げた。不機嫌に染まった色は、まるで自分の心を写しているかのようだとひとりごちた。
他にやることもなく、空を見続けていると、ふとどうでもいいことを思い出した。七夕の日に雨が降ると、天の川の水嵩が増すらしい。そのため、ふたりは会えなくなるのだと、彼女がいつかそう言っていた。あれはいつのことだったか。遠い昔だったことのようにも思えるし、最近のことだったようにも思える。ただその時、彼女は「雨が降らないといいね」と無邪気に微笑っていた。それだけは不思議な程に鮮明に覚えていた。織姫と彦星が逢えなくなったのは自業自得であるのに、ふたりの幸せを単純に祈る彼女を愛おしく思った記憶だけがある。なあ、それなのにと俺は思わずにはいられない。
俺と彼女は、怠けてなどいない。むしろ、互いが自分の夢のためにも努力はしている筈だった。それなのに、会えないのは不公平なのではないか。たまに合う機会でさえもこんな風になってしまうだなんて、不公平なのではないか。俺は、ただ笑いたいだけなのだ。彼女と一緒に笑っていたい。それだけなのに。
鉛色の空はその色を変えずに相も変わらずに佇んでいる。俺はふと思う。今日はまた雨が降るのだろうか、と。いっそのこと、降ればいいのに。そうすれば、きっとこの約束だって反故になるだろう。彼女はここに来ることなどないだろう。俺だって、無理やりに自分を納得させて家路に着くことが出来るだろう。なあ、会えないならばいっそのこと――。
「エド」
ふいに聞きなれた声が耳を打つ。その声は、俺がずっと待ち続けていた女の声だった。その声をどこか期待していた自分を否定出来なくて、声のする方向を見るのは憚られた。
彼女はそんな俺の心境を知っているかのように「ごめんね」とだけ告げた。そして、そのか細い腕を俺の身体にまわした。両手をまわされて、彼女が嫌でも視界に映る。その時、俺は初めて彼女がスーツ姿のままであることに気が付いた。彼女はこの花火大会には毎年浴衣で来ていた筈なのに。
両腕を必死にまわす彼女の姿をみて、思う。俺は本当は知っているのだということを。彼女が中途半端なことはしたくないと思っているくらいに仕事を愛していることを。仕事が終わったら即座に自分に会いに来るくらいに大切に想っていることも。目の前の彼女が両腕で何を繋ぎ止めようとしているのかも。不安なのは、なにも俺だけではないのだ。
俺は、溜め息を一つだけつく。言葉を重ねてもろくなことを言えないとは分かっていたから、一言だけ告げる。
「分かってるから、気にすんな」
そう言って彼女を両腕の中に閉じ込めた。彼女はその腕で俺の身体を握り直しながら「ごめん」とまた告げる。そして、「けどね」と続けて、小さな唇から細い小さな声でその音を紡ぎ出した。
「今日、会えて嬉しい」
彼女の言葉はとても卑怯だった。その言葉だけで全てを許せると思えるくらいに。それが、酷く悔しかった。けれども、同時に嬉しくて嬉しくて堪らなかった。俺は思わずにはいられない。彼女が俺と同じ未来を望んでいるのだということを。
そうしたのちに、やがてふたりで向こう岸へと向かうべく歩き出した。彼女はすっかり黒に染まった空を眺めながら、それを言う。
「今日七夕なのよね」
俺は彼女が何を言い出そうとしてるのか分からず、とりあえず「おう」とだけ告げた。そんな俺に構わず、彼女は話を続ける。
「きっと彦星と織姫は不運だったんだと思わない?」
「なんで?」
「お互いがお互いを好きで、一緒にいたかっただけなのに一年に一回しか逢えなくなるなんて」
「でも、自業自得だろうが」
そりゃあね、と彼女は微笑う。けれども、と彼女は言う。
「でもね、彦星と織姫の仕事が違ってたりしたら、ふたりは一緒にいれたんじゃないかと思わない?」
「…なにを言いたいんだよ、お前は」
「あたしは、あんたのおかげで仕事を生き甲斐に出来てるってこと!!」
彼女は微笑みながら言う。
「あんたと一緒にいたいから、あたしは仕事頑張ろうって思えるの」
彼女のそれだけの言葉に、なぜだか少しだけ心が救われた気が、した。でもそんなこと言えるわけもないから。俺はいつも通りの憎まれ口を彼女に叩く。
「そう言うと、お前の遅刻が許されるとでも?」
彼女は、膨れっ面で俺の腕を叩いた。俺は微笑いながら、その手をすくう。そうして、そのまま一緒に夜の橋を渡る。
橋の上には、林檎飴の屋台があった。俺は彼女のために屋台に近付く。すると、屋台の近くに先程の高校生の二人組が柵に背を凭れているのが目に映る。二人はその頬を手に持っている林檎飴のように染めながら話をしていた。聞き耳を立てるつもりはなかったけれども、思わずふたりの会話が耳に入る。
「雨降らないといいね」
あ、と思わず間抜けな声がこぼれた。そういえば、そうだったと俺は思い出して、微笑う。彼女はそんな俺をみて、不思議そうに尋ねた。
「なに変な顔してるのよ?」
「あれ」
俺はそう言って密かに人差し指を高校生の二人組を指差した。彼女は、ふたりに視線を向けた。
「可愛いわね」
彼女はその瞳で高校生のふたりを捉えると、そう言ってどこか懐かしそうに笑った。そういえば、まだ付き合う前の頃に高校生の彼女はなにかを願うかのように言ったのだった。「雨が降らなければいいね」と。
「あの子たち、付き合ってるのかな?」
「さあ」
「うまくいってほしいね」
優しそうに彼女の微笑を見て、ふと思う。もしかして、自分たちもあのくらいの年頃のときに、誰かが密かに祈ってくれたのだろうかなんて。あるいは、先程自分が思っていたように妬んでいた誰かがいたかもしれない。そう思うと、少しだけ愉快になる。そのせいか、似合わないことを考えてしまった。
俺の顔を見て、彼女が「なに?」とまた問う。俺は言えるわけなんかなくて「別に」とだけ呟いた。けれども、緩んだ顔を戻すことは出来なかったけれども。
「行くぞ」
俺が再び彼女の手を引いたその時、まるでその言葉を合図にでもしたのかのように夜空に光の粒が舞った。鉛色の空を裂く、光の花が咲く。
空を眺めながら、さっき思ったことをひとり思い返す。言えるわけがないだろう。あのふたりのために、雨が降らなければいいと思っただなんて。あのふたりが、俺たちみたいに十年後も一緒にいればいいなんて思っただなんて。
鉛色の空を彩る光は、夜空に輝くあの川に架かる橋のようでもあった。
俺は願わずにはいられない。
なあ、きっと。あの高校生のふたりも、彦星と織姫も、俺たちも。皆幸せになればいい。
これからもなんて我が儘は言わない。これからのことは、願いじゃなくて叶えることだから。
だから、なあ。少なくとも今夜だけは。
***
日付の詐称がだいぶ酷い作品となりました^^笑
七夕話で、現パロですけど、エドは左足が義足ってゆう設定です。
ついったーで目標にあげてた通り、なんとか旧暦七夕までにでかしてあげてみました^^笑
さちるさん、やりましたよ!!!!と、さり気につぶやいておく←
でもとりあえずはあげちゃいますが、間に合わせるためにやっつけで書いたため
作品として気に食わない部分が多いため、ぼちぼち直させていただきます。
ちなみに、イメージソング?BGMはレミオロメンの『花火』です。

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